1950年代から1960年代の貨幣処理機

1950年代

1950年代は、日本の経済が戦後の復興期にあり、朝鮮戦争の特需が経済成長を後押ししていました。

1950年:硬貨計数機の登場

1950年、グローリー株式会社は日本初の硬貨計数機を開発しました。この機械は、硬貨を1枚ずつ正確に計数する技術を持ち、金融機関や商業施設での利用が広がりました。硬貨計数機の登場は、通貨処理の効率化に大きく貢献し、その後の貨幣処理機の技術開発の基盤となりました。

1951年:B五百円券の発行

1951年には、B五百円券が発行されました。この紙幣には岩倉具視の肖像が描かれ、偽造防止のための改良が施されていました。B号券は、A号券の偽造が問題となっていたため、その対策として発行されました。

1956年:経済成長の本格化

1956年は、日本の経済成長が本格化した年として知られています。この年に発表された経済白書では、「もはや戦後ではない」という言葉が使われ、戦後復興が完了し、経済成長期に入ったことが示されました。この背景には、産業の復興とともに、技術革新が進んだことが挙げられます。

1958年:たばこ自動販売機の開発とC一万円券の発行

1958年には、グローリー株式会社がたばこ自動販売機を開発しました。これは、硬貨を投入することでたばこを自動的に購入できる機械であり、日本の自動販売機市場の発展に寄与しました。同年、C一万円券が発行されました。この紙幣には聖徳太子鳳凰が描かれ、印刷技術や偽造防止技術が向上しました。

1960年代

1962年:硬貨包装機の開発

1962年には、グローリー株式会社が硬貨自動包装機を開発しました。この機械は、硬貨を自動的に包装する機能を持ち、金融機関や商業施設での硬貨処理の効率化に貢献しました。包装された硬貨は、流通時の取り扱いが容易になり、効率的な管理が可能となりました。

1963年:C千円券の発行

1963年には、C千円券が発行されました。C千円券は、B千円券の偽造が多発したことを受けて、印刷技術や偽造防止技術を大幅に向上させた新しい紙幣として発行されました。デザイン決定に際しては、東京大学心理学教室の調査結果などを参考にし、最終的に伊藤博文の肖像が採用されました。

表面右側には初代内閣総理大臣である伊藤博文の写真を基にした大型の肖像が描かれ、下部には菊花が、中央には宝相華模様と法隆寺所蔵の「橘夫人念持仏厨子」の光背が地模様としてあしらわれています。裏面には日本銀行本店本館が描かれ、従来の重厚な輪郭枠を取り去った開放的なデザインとなっています。

C千円券は1963年11月1日に発行が開始され、1986年1月4日に支払が停止されました。記番号は当初黒色で印刷されていましたが、1976年7月1日からは青色に変更されました。この変更は、記番号の組み合わせが枯渇したためです。

1965年:千円紙幣両替機の開発

1965年には、グローリー株式会社が千円紙幣両替機を開発しました。

まとめ

1950年代から1960年代にかけて、日本は戦後復興から高度経済成長期に移行し、経済と技術の発展が著しい時期でした。この時期に登場した硬貨計数機、たばこ自動販売機、硬貨包装機、千円紙幣両替機といった新しい機器は、金融機関や商業施設での通貨処理の効率化に大きく貢献しました。

キーワード:紙幣識別装置、貨幣処理機、1950年代、1960年代、グローリー株式会社、日本銀行